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【最終講義】




ほぼ同時期に、同じ言葉を色々な場所で聴くことがありませんか。
僕には度々あって、それが自分にとても大切な言葉になっていたり、
又は自分にとっての大切な想いを誘発するような言葉になっていたりすることが多い。

3月8日、その類いの言葉に、2つも出逢った。再会した。
それは、
【最終講義】、【遠くから聴こえてくるもの】
の2つであった。



3月8日、昼下がり、久しぶりにシルバーのスーツを着て、
諸々の春の兆しを身体にあてながら、いつも通り自転車で新宿へ向かった。

行き先は、僕がこれで計6度目の参加となった
三重県共催の熊野をめぐるシリーズ講座の「最終回」が
行われるACC新宿である。
僕がスーツを着ていったのは、その日が「最終回」で、
卒業式気分になっていたから。
じゃあ僕がどんな学業を修めたのか、何を得たのかというのは、
後で述べたい。

講座前までにやっておきたかったことを
開講までになんとかやり終えて、
教室に向かう両講師を通路で追い抜きつつ、
ギリギリで入室し着席した。
本講座で知り合った方々と視線で挨拶をしているうちに、
講座は始まった。

植島啓司VS龍村仁
「熊野のチカラ〜深い森と海が育んだもの〜」


冒頭、いきなり、
植島さんが言った言葉に、
面食らった。
これが僕の最終講義です


最終講義というのは、長年人前で講義をしてきた人にすれば、
その内容が通常通りのものであれ、少し変わったものであれ、
幾らか特別な想いのこもったものになるのは想像に難くなく、
受け手からしても、というか受け手にしたら一層特別で、
ましてそれが自分の敬愛する人による講義ならば特別は格別となる。

また、植島さんはいろんなところで仰っているように、
学生時代から現在に至るまで、誰よりも自分自身が、
他人の退屈な話をじっとしながら聞くのが大層お嫌いなので、
そういう人だからこそ、今に至るまで様々な場で魅力的な講義をし、
たくさんの人を魅了してきたのだろう。

僕が関大で受講していたときも、
休講が多く、講義時間は短く、
冒頭は講義の主題とは幾らか離れたところから入り、
映像や画像を使い飽きさせず、
学生を引き込んだところで、
主題をバンとお見舞いし、講義は終了。
出席をとったり、定期的に小テストをしたりだのして、
学生を繋ぎ止めるといった手段は全くしないのに、
履修する人も、出席する人も圧倒的に多かった。
今から考えれば、試験であんな大量の学生の答案に目を通すのは
大変だろうし、間違いなくしょーもない回答をしていたであろう僕は
今更ながら申し訳ない気持ちにもなる。

そのように今まで30年近く少数の演習授業から数百人クラスの大授業・講演まで
様々な形態で魅惑の講義をしてきた人に
「これが最終講義です」
と言われたのだから、しかも心の準備もしていなくて不意打ちだったのだから、
まさに面食らって、講義終了までどこか不安定でおぼつかない状態でいたのも仕様がなかった。
また、数日前に「最終講義というのは是非体験するべきだ」という意味合いの文章を
どこかで(おそらく茂木氏のブログだが、間違っているかも。)観たばかりで、
その瞬間がいきなり来て、しかもそれが何よりも植島さんの講義だったので、
「え!いきなりど真ん中!?」という驚きと「来るべくしてきた」という適当具合、見事な符合っぷりが一緒になって
僕に飛び込んできたのであり、全くもって仕様がなかった。

冒頭部分の僕の心情説明にこれ以上割いてもどうかと思うが、
今夜はもっともっと書きたい気分なのだ。
が、幾ら書いても説明できる気がしないのも実際なので、
講義内容にふれてゆきたい。

ちなみに植島さんは冒頭に軽く「最終講義」という言葉を出してからは、
その後ずっとそのことについては触れず、変に感慨深さを見せることは無かった。
こういう余計なことを言わないところとか、
ひけらかしたりせず秘密を秘密として秘めるところとか、
周りを、全てを、理解しようとする愛みたいなものをもっているところとか、
その一方自分は正体不明でいるところとか、
けれどそういう自分の態度をわかってくれる人がいることを静かに把握しているところとか、
僕はそういうところにダンディズムを、澁澤龍彦から香るダンディズムと同じものを、植島さんにも感じてしまうのである。
(このパラグラフは存分に僕の勝手な思い込みで記したが、そう間違っている気もしていない。)


さて、今回の熊野をめぐる講義は
「海から観た熊野」という主題が一貫していた。

前半は主に龍村監督が、
人間に潜む5000〜1万年前の記憶と
熊野に訪れたときに湧く2500年前くらいの記憶とがリンクする
ということや
海洋モンゴロイドの血について
というような言語化や立証の困難な事項について述べられ、
また、地球交響曲第6番の熊野をロケ地としたシーンや
植島さんの熊野を海側から撮影した映像が披露された。

そして中盤を迎え、
話は「遠い音」というテーマに移った。
これは、僕は当ブログでも以前記したような記憶があるし、
実際に僕は自室の机の目の前の壁に、一昨年札幌で購入したテレビ塔のテレビ父さんメモに気になったことを
書いてペタペタ貼付けていて、そこにも関連事項を記していることなのだが、
【最終講義】_c0063998_0353313.jpg

【最終講義】_c0063998_0362248.jpg


ここで植島さんが痺れる一言を見舞ってくれた。

「100メートル先から聴こえてきたものは、100メートル分の何かを運んでくる」

この感覚を、この受容感覚を、僕達はどのように考え、どのように看做すことができるだろうか。


それに続き、龍村監督が、
聴こえてくる音に対して、受け止めるだけでなくこちらも何かを発し、
それが出逢ったときに倍音が、つまり新しい振動が生まれる、というイメージを話された。

これは、そのまま地球交響曲第6番の主題に繋がるし、
又、植島さんが以前クマリに関する論説で、

聖なるもの(超自然)とは一種の強力なエネルギー体である。ワカンタンカ、アニマ・ムンディ、マナ、オレゴンなど、
聖なるものを意味する言葉はすべて「振動体」と翻訳することができよう。
それは善悪をともに呑み込んでしまうような磁場を持ち、宗教的職能者らは全てそこから力を獲得するのである。

(処女神 第八回 パタンのクマリ 「青春と読書」[集英社]より)

と記していることにも少なからず関係していると思う。


引き続き、「海から観た熊野」という観点から
植島さんによって、神武天皇の海童(ワダツミ)的性格の指摘や
熊野の海が「地果つるところ」ではなく「結びつけるところ」であるという意識の指摘、
また指摘されたその二つの事項の繋がりが言及されたり
龍村監督による、黒潮や星野道夫氏を媒介にした日本と南東アラスカの人々のルーツの繋がりという
面白い自説が展開され、
講義はエピローグへ向かう。


先に植島さんが、
最後に一つ言っておきたいのが、と前置きして仰ったのが、

(あらかじめ配布されていたプリントに印刷されていた上下逆さの世界地図を指し、
日本列島や南西・東北にそれぞれ伸びる列島というのは大陸から観れば、
ベーリング海・オホーツク海・日本海・東シナ海・南シナ海
という五つの内海のむこうに浮かぶ島であり、以前は大陸により近接していたことを示しながら、)

「そもそも【日本】というのは7世紀までなく、
それよりもっと前は今で言う中国大陸や朝鮮半島と繋がっていて一体化していたという
そういうダイナミズムのなかで日本人というものを捉えなければならない」
ということであった。
またそのように地図を眺めれば、
熊野も今の神奈川や千葉なんかも大陸の表玄関であったことがわかるということであった。

それはつまり熊野が「地果つるところ」ではなく「結びつけるところ」であるということであり、
様々なもの、そうまさにさまざまが海から漂着し、繋がり、
神武天皇だって海からやってきて、熊野に入ったのであり、
これは、性別も貴賤も疾患の有無も問わず、全てを受け入れてきた
という珍しい性質をもった熊野という聖地を象徴することだと思う。

その熊野の多様性は熊野の神々の多様性とも符合し、
それを生み出した一因は熊野の多様な樹木・岩石であり
逆に砂漠では同じ理由で一神教が生まれたという
龍村監督の言葉で、
講座は幕を閉じた。


最終講義の最後の一言に、植島さんが「日本」という言葉をもってきたことに、
意外さと同時に遂に来たかという印象をもった。
大学も辞められ、シリーズ講座も終わり、
これからできるだけ海外調査に重きをおかれるという話を聞いた。
今回が本当に植島さんの最終講義となるのかどうかはわからないことなのだけど、
そういう文脈で植島さんの最終講義の締めの言葉を、
日本や日本人についての捉え方についての言葉を、
反芻するとさらに滋味を感じるし、
同時に本当に最終講義だったのではないかという想いも強くなる。


講義が終わり、幾らか余韻でぼぉっとした頭で、
このシリーズ講座で出逢った愛すべき人々と打ち上げ会場に向かった。
この日逢えると思っていた幾人の人達が来てなくて残念だったが、
この日も新しい出逢いがあり、本当に最後まで恩恵を頂いた気持ちで一杯だ。

印象的だったのは、写真家の鈴木理策さんがいらしていて少しだけお話させて頂いたのだが、
まさに現代版熊楠といった様子の人だったこと。もう少し談笑してみたかった。
あと、植島さんに呼ばれて、理策さんや各社編集者の方々と話していた時に、
ごく自然に何気ない感じで植島さんが僕に言った一言が、
こちらで勝手に佳い具合に解釈したうえで宝物とさせていただきたくなるような言葉で、
これに関しては僕の中で数十年は大切にさせてもらいたい。

一次会が終わり、皆さん打ち合わせだの私用などでバラバラとなった。
といっても時間がかなり早かったので、
仲良しのT夫妻とその日一次会で意気投合した鍼灸師の方と4人で
新宿でささやかに2次会を愉しんだ。
皆やってることが違うので、いちいち話題が興味深く、
それについて変に気を使わずに(言ってる意味汲んでくれるかなぁ?なんて心配せずに)、
好きなこと話せる時間は至福だ。


さぁ。シリーズ講座は終わった。
その日皆と別れ、ひとり新宿を歩きながら、
こんな寂寥感は何事かしらと思いつつ、
参加した講座を想い出し、考えた。
僕は何を学んだのか、と。


この講座を通して、
僕に起こった大きな変化は、
様々な宝のような言葉を自分に注ぎ、
それによって自分が、すなわち世界が動いたこと。
そしてその動き続けたことによって、
自分のもつ「問い」がより鮮やかにみえてきたこと。
自分が深く入ってゆきたい「問い」をみつけたこと。

「答え」じゃなくて「質問」がみつかりました。
講座を受けたら問いがみつかりました。



そして、この講座で、
植島さんや、三重県の平野さんという萃点から繋がり合えた皆さんのことを想うと
歓びと感謝が溢れます。
ありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。
できるだけ愉しいことをたくさんやりましょうね。



そういえば、このブログなんですが、
アクセス数はそれほど高いわけではないんですが、
かなり色々な人が(自分の予想だにしない方が)覗いてくれているみたいで、
今回記したような三重県共催講座や熊野に関する投稿は何度も書いているが、
三重県か三重のどこかの市の役所の方が何かで検索して
ここに辿り着き、御拝読頂いて、
「彼は面白いねぇ」と言ってたよぉ、
と僕の大好きな女優N氏のスタイリストEさんから
お伺いしたり(凄い感じで人は繋がりますね、というかEさんの活動範囲の広さが驚きですが)、
また、面識はなかったのですが、
今回の最終講義に、このブログを観て、
興味を持って頂いて、参加してくれた方もいらっしゃいました。
(講座終了後、声を掛けて頂き、初体面とご挨拶がかないましたが、
僕は講座の余韻で脳が変な感じで、社会性が減衰してて上手く話せなくてすみませんでした。)


というわけで、どこで誰が観てくれてて、
その後どう繋がるかなんて、予想もつかないことですが、
引き続き、愉しく書いてゆくつもりです。
今回は少し気が入り過ぎて、おそらく最長記録ですが、
そんなのもたまには佳いのだと思います。

最後まで読んで頂いた方に賛辞の意を表して、
昨日帰宅して受信箱を開いたら投函されていた
父からの画像を贈ります。

実家の梅が咲いたそうです。
【最終講義】_c0063998_0395683.jpg


では。
Commented by t.okuma at 2008-03-12 17:11 x
先日は大変お世話になりました。非常に楽しい時間をすごさせて頂きました。いろいろなつながりがあるものですよね。

次の日、家で普段ラジオなど絶対かけていないのに〈しかもAM〉、たまたまかかっていて、電源を消そうと思った瞬間に、DJのかたが、「本日のゲストは龍村仁監督です」といって、非常に驚きを覚えました。その前の日、図々しくも隣の席にすわらさせてもらい、食事をともにし、「自分はどこいら辺の顔ですかえ~?」なんていう質問をし、「君は北欧系の顔だね、冷たいところに耐えられる目をしているよ。」という言葉を頂いたばかりで、なんとも不思議な感覚を覚えたのでした。一つのシンクロにシティーとでもいうのですかね。

そして僕も植島先生に出会えたこと、最後の生徒になれたこと、そしてそれを通して新たな人たちに出会えたことを感謝しつつ、自分の専門に励んでいきたいと思います。

また近いうちにどこかで会える事を楽しみにしています。
Commented by Cineraria14 at 2008-03-30 00:09
改めて、先日はお逢いできて嬉しかったです。
あの講座を軸に広がる繋がりは最高でしたね。

といってるうちに、実は、植島さん、大阪でめちゃくちゃ面白そうな講座やられるみたいですね。今度は文学!みたいです。
最終講義は何度でも体験してみたいものです。

にしても三重県共催シリーズ講座@新宿ACCは素晴らしかった。

by Cineraria14 | 2008-03-12 00:40 | 講演・講座・対談 | Comments(2)